来年の目標

来年の目標立てた。まず押し入れの中の要らないものを処分してスペースを作る。そして、同じく要らないものを処分したタンスの中のものを移動してタンスは処分し、部屋の使える部分を広くする。

今年平成30年(2018)もとうとうものを少なくする事に失敗した。いかにこれが難しい事なのかを実感したので、これを来年の目標にする。

思えば、小さなものを買っては持ち帰り、また買っては持ち帰りしているうちにこうなるんだと思う。自分の他にも同じような人は多いのでは?そこで、これからは一つ持ち出しては廃棄し、また持ち出しては廃棄しをやろうと思う。この方法ならば、少しずつものが増えて行ったのと反対に、少しずつものが減るはずだよね。

いや、ちょうど年末の大掃除やって部屋が少し広くなったから今やってみようか。

バスを待つ

バスが遅れると利用者はさてどうするかと迷うよね。何故なら、

1.バスは遅れている事を教えてくれない。
2.渋滞で遅れているのか、事故等の他の原因なのか確認ができない。
3.諦めて他の交通手段を使おうとその場を離れたその瞬間に来るかも知れない。
4.かといってそのまま待っていてもいつくるかわからない。

遅れているなら遅れていると、どれくらい遅れているかをバス待ちしている人に伝えてくれれば客はどうするかの判断もできようが、それがない。一方のバス側は、停留所に通知機能を設置していなければ即時には伝えられない。各停留所に職員を派遣して伝えるしかないが、それができるならバスは遅れていないだろうし、できる方法としては自転車かバイクで各停留所を廻るくらいしかない。そもそも、今どのバスが遅れているかの把握からして難しい。

結果、遅れながらも停留所に着いたバスの運転手が、散々待たされた乗客からこっぴどく文句を言われる事になる。運転手は次の停留所でも同じような目に遭うのだろうから大変だ。

今はどうなのだろう?タクシーでは営業所が各車の現在位置をGPSで把握しているっぽい。バスでも同じ事ができるだろう。停留所のバス待ち客への通知は外国ではちょっと進んでいて、定まった運行時刻表は紙面で掲示され、何系統のどこ行きのバスがあと何分で到着するかは常時電光掲示するようにもなってきている。ただこの電光掲示施設を都内の各バス停に設置するのは難しいか停留所のスペースによるだろう。あの停留所名の書かれたポール一本の都内バス停留所で常に変動するバス運行状況をどうやって待ち客に知らせるか?電源はソーラーパネル?接続は携帯回線を?

ギリギリできるか?まだ無理か?

なぜ銭湯の壁の絵は富士山なのか?

幼少の頃から思ってきた疑問「どうして銭湯の壁には富士山が描かれているの?」。

今なら答えられます。温まって疲れを癒す空間に最も適した良い風景だからでしょう。風呂に入る目的は体を洗ったり湯に入って温まるだけではなく、疲れた体を癒し体力を養う目的もあります。精神的癒しやエネルギー充電。これを行う場合、狭くて閉鎖的な空間よりも広くて開放的な空間の方が適しているようです。

例えば、長時間モニターに向かって作業をしていると遠くが見たくなります。普段、狭い空間や屋外から隔離された場所で過ごす時間が多い人ほど広くて遠い場所で伸び伸びしたくなるのでは?癒しと充電の場である湯船に漬かっている間の目の向け所としては、遮るものが無い遠く広い風景が向いているのです。

しかし、ならば何も無い水平線でも良いのでは?というと、勿論悪くはないのですが、風景としては単調で面白味に欠けます。陸でも海でも広い場所には何かワンポイントがあればアクセントになります。また、陸の下には池や海が、陸の上には山があると起伏に富んだ風景となり、面白いのです。

その結果、銭湯の壁には海と陸と富士山という構図に。屋内の閉ざされた狭い空間に、富士山が見える露天風呂を再現したものと言えるでしょう。本物の富士山を模して造られた富士塚と似ています。そして富士山は多くの人にとって絶景であり、縁起のよい存在でもあるところで、更に適したものといえます。

☆疑問点。富士山とは無縁な地域の銭湯の壁には何が描かれているのだろうか?まずもって富士山が見えない地域の銭湯では、その地域の名所や絶景が描かれているのではないでしょうか?

夢もまた夢~浦島太郎な人生にならないように~

廃れない昔話には意味があるから廃れないようです。そんな昔話の一つの 浦島太郎 について。

  1. 亀を助けるよね。浦島太郎はこの時、青年だね。
  2. 助けた亀が竜宮城に連れて行ってくれるよね。ここからが非現実的な夢の世界。
  3. 男・浦島太郎は美人な乙姫様に歓待されてまさに夢のような思いをする。
  4. 玉手箱なる手土産まで持たされ、ウキウキのまま帰路へ。
  5. 浜に到着。ここで現実の世界に。そして、玉手箱を開けると真っ白い煙が立ち上り、浦島太郎は白髪のお爺さんになってしまった。

この話には、夢のような思いをしている人への警告が込められています。即ち、浦島太郎は夢を見ている間に歳だけとってしまったという話です。夢を見始める前は青年だった浦島太郎が夢から覚めた時、白髪のお爺さんになっていた。この話は一人の主人公の数十年を追った「一代記」並の期間を語っています。因みに、こういう話が作れる人物とはどんな人物だろうか?想うに、物語に出てくる白髪のお爺さんより年上の人物である事が想像できます。

さて、それではその警告を現代に当てはめてみるとどうなるでしょうか。今から数十年前、たくさんのアニメーションがテレビで放映されていました。あの頃、アニメーションというのは昔からテレビで放映されていて今後も永遠かのような感覚でいましたが、その頃から“夢がある/夢を追う事は良い事だ”とされる傾向が今日まで続いています。勘の良い人はもうわかるでしょう。(他人にはよくわからない)大きな夢を持ち、脇目を振らずにそれに集中し、数十年という時間を費やした結果、歳だけとってしまったよと。浦島太郎は結婚したのだろうか?子供は?親は?同世代の友人知人は?それらの事はこの話からは伝わっていません。存在した可能性は無きにしもあらずだが、情報はゼロです。即ち、話の中では結婚も子供の存在も触れられておらず、想像できません。無かった場合、彼はまさに歳だけとった人物です。

夢って必要(=必ず要るの意)ですかね?ましてや、大きな夢など。壮大な夢を遠くの目標にして追うより、身近な人たちとの人生に目を向けるべきでは?

夢をみさせてくれた方々に感謝をしつつ、夢は卒業すべきと思う今日この頃です。

もし国際線の飛行機に乗っている最中に機体が大きく破裂した場合、乗っている我々はどうなるか?と考えてみた。

もし飛行機に搭乗中に突然飛行機の機体が大きく壊れたらどうなるかを考えた。

高度8000mから10000mを超える上空の為、気圧はエベレスト以上に低く、気温はマイナス40度?もの低温になるので、

  1. 低圧の影響で一気に高山病になる : 3776mほどの富士山でも麓から頂上まで半日かけてゆっくり、気圧に体を慣らしながら登っても高山病にかかり、頭が痛くなる。気圧の影響と思われる。
  2. 低温の影響で一気に冷えて凍る : マイナス40度の世界ではバナナで釘が打てる話は有名。
  3. 上記の低温・低圧の状況下では乾燥する : お湯を入れるだけでできるインスタント食品の製造では、

以上の事から、もし飛行機搭乗中に期待が真っ二つに割れたり壊れたりした場合には、乗っている人らは即死して凍結が始まり、落下しながら地上に近付くにつれて温かくなるので再度解凍が始まり…。

いつまでも黙っていると思うな

16日の世田谷ボロ市で、自転車で幼い男の子を連れて訪れた白人夫婦の夫が自転車に乗って会場内を通り自転車置き場に向かう途中、市を見学中の小学生たちの一人に接触したのを目撃しました。その夫は後ろを振り返りながらもそのままその場を走り去ったので、その先の自転車置き場に駐輪して歩いて会場に戻るところで話し掛け、責任追及しました。彼等はその前に会場入り口の路上に駐輪しようとしていたので、私とその場の警備員からこの先に自転車用の置き場がある事を伝えられていました。私のつたない英語での話し掛けに対し、妻は「近くに?」とややまだ慣れ切ってはいない日本語で応じていました。

話し掛ける際に私から「Can you speak Japanese ?」と夫に聞くと、Noとの返事。そこで、若干使える妻に日本語で、「子供にぶつけておきながら謝りもしないで立ち去るなんて酷いんじゃないか?」と問うがピンと来ない様子なので、ジェスチャーと英単語で夫の運転する自転車が歩いていた小学生にぶつかった旨を説明。すると、夫は英語でこう応答。

I don’t hit child.

そんな事はない。No NO, You hit child と応じたところ、応酬となり、

I don’t hit child. Child hits me.
You are blind.

と言って立ち去ろうとした。幼い息子を後部に取り付けたバスタブのような座席に乗せ、自らもその自転車に乗って運転していた自転車が小学生にぶつかったのではなく、小学生が自分にぶつかったのだという有り得ない言い分に驚いた。そして日本語で叱責すると、

What are you talking about ?

そして立ち去ろうと。私は彼等にぶつけるように言った。

Go back to your country ! Go back ! (国に帰れ!)

夫はこう発した。

I will. (そうするよ)

そして私の目前まで歩み寄ると、こう英語で続けた。

「本当は私がぶつかった。悪かった。スミマセンでした。」

その時に言いたかった事は英語にできなかったので、握手するくらいしか発想できなかった。その時私が絞り出した言葉は以下の通り。

Have a happy shopping.

別れた後、事の始終を見ていただろう警備員に話しておきました。気になっていると思うので。

「自分がぶつかったのではない。子供がぶつかってきたのだ」と返された時、端正な見た目とは裏腹の醜い心のギャップを感じたのと、自分の後輩が外国人に当て逃げされたかのような悔しさを感じた。

日本人って他人に迷惑をかけた時にすぐに「すみません」って言いますね。他人に迷惑かけまいとする配慮と、迷惑かけてしまったらそれを認める率直さが籠った言動であり、愛すべき行いだと思います。しかし、そういう事が頻発した為にその言葉を連発し、その為に、そう発言する事がクセになってはいまいか?そしてこれが転じて、自分が悪いか否か関係なく事を穏便に済ますが為に、悪くもないのに「すみません」と謝ってはいまいか?小学生らを引率していた大人からも接触の後、そう発せられた気がします。しかしこの場合、非があるのは自転車に乗って走っていた白人夫です。ボロ市会場では自転車から降りて進むよう、警備員による指導も行われています。そしてその夫の言い分は上記の通りです。このままだと、温和で素直で他人に迷惑かけまいとする日本人が、外国から来た者との間で起きた事件事故や紛争で不必要に責任を押し付けられてしまいそうで不安に陥ります。

彼は一度は言いました。

I don’t hit child. Child hits me.

平然と。そして日本語はわからないと。こう言われると、自分が英語が話せないと思うとそれ以上の会話を諦める方向に進み、日本人側の泣き寝入りになるでしょう。接触された小学生側が今後、市の中を歩く時に自転車に注意して歩かされる結果に。未確認ながら、小学生にケガはなかったものと察するが、この調子で他にも日本人が我慢させられているとしたら悔しいです。今回は彼等が市の見物に入る直前で、本来なら100%晴れやかな楽しい家族旅行になったところを、若干の影を落とさせたところが、私が加えられたささやかな一撃です。

いつまでも日本人が何をされても黙ってると思うな。少年時代に欧米に憧れた世代とはいえ、欧米人の横暴までは許さないぞ。

この記事とご縁のあった方は、今後もし外国人が起こしたトラブルやアクシデントに遭遇したらまずは周囲の日本人と共にその立ち回りや言動を観察してみてください。彼等がどう応じる?何をどう言う?たぶん、ひょっとしたら「自分は悪くない。悪いのは相手だ」と全てを相手の責任に転嫁する気がします。そして同時に、証拠や目撃者は確保や控えるなどして押さえてください。また、「日本語わからない」は“逃げの口上”の可能性があります。今回の夫婦は確かにカタコトの日本語発音でしたが、サイクリング用のヘルメットに衣装、夫の自転車は後部に小さな水色のバスタブのような容器を乗せて子供を後ろ向きに乗せるハンドメイド仕様からすると、観光客のような短期の一時訪日者ではなく業務滞在中の駐在員な気もします。都内で働いているならば日本語が全くわからないというのも考え辛いところで、運転していた自転車が自身の所有物であれば、ボロ市会場まで自転車で行ける圏内に在住でしょう。世田谷通りに面した会場入り口で見た印象としては、渋谷方面から来たと思われます。

I want to say the Husband of that family.
Most Japanese people will welcome a family like you.
If you are in trouble, most Japanese people will help you. But why do you do like that ? What do you think if your child is done the same ?
If you are a person who says that only your child is important, I can NOT welcome you if you are even from America or Europe.
If so, Go back to your country.

マクドナルドの店員

マクドナルドで、ハンバーガーとチーズバーガーとホットコーヒーを注文しようとした時の事。

私:ハンバーガーとチーズバーガーを一つずつと…(注文途中)
店員:店内でお召し上がりですか?
私:ハイ
店員:お会計が○○円でございます。(注文終了)
私:(まだ注文終わってないんだがな)

次にこういう事があったら怒っていいですかね。怒ったところで改善もなければその後輩らがやるのでしょうが。機械的な応じ方に加えてそそっかしい事極まりない。途中で注文を断っているのだから、それ以上注文させないようにしているともとれる。迷惑か?私の注文は。面倒臭いか?注文受けるのは。他に待っている客がいたわけでもないのに。或いは、私が何か不快な事をあなたにしたか?

不快にさせる言動を働いていながら、それに腹を立てて怒鳴りでもすると今の世の中、怒鳴った側が悪者扱いされるから腹が立つ。本当に嫌いだ。今のこの世の中が。

オランダで購入のライス Vezelrijke Zilvervlies rijst を調理してみた

オランダで買った外国米(Vezelrijke Zilvervlies rijst:東南アジア系と思われる)を調理してみた。

調理法を翻訳するに、日本米の「炊く」とは違い、どちらかというと「煮る」といった印象。以下、その方法。

  1. 米は洗わないでいい。
  2. よく沸騰した十分な量のお湯に米を投入する。
  3. 弱火で10分茹でるor煮る。
  4. 米を取り出して蓋をした容器に入れて5分間蒸して出来上がり。

この方法だとパスタやスパゲティーの茹で方に近いですね。日本米と違うのは、洗わない・研がない・吸水させないところが大きく違う。米は米でも日本米と外国米とは調理の仕方が大きく異なる。

して出来上がりはというと、一粒一粒が完全にバラバラなご飯で粘りがほとんど無く、ダマにならないので、食べるのに箸は適さない。スプーンで食べるか、指で掴んで食べる方法に。後者の場合はあまり熱いと掴めないのだから、その食べ方をする場合は掴める温度に冷めたものになるでしょう。日本人がご飯を箸で食べるのはご飯が一口程度のダマにできるからであって、箸文化がご飯の質による必要性に支えられている事を実感した。もし日本で食べられるご飯がダマにならない質になったら寿司が握れなくなると同時に箸も使えなくなる事が予想される。寿司も箸もご飯の質が命なのだと。逆に米粒同士がパラパラにバラけた方が適するチャーハン作りにはダマになる日本米よりこのお米の方が適しているでしょう。米を粒単位で炒めるチャーハン(炒飯)はこちらの米文化圏で発達したと察せられる。

味はと言うと、全く味付け無しで食べる場合、日本米に慣れた日本人には厳しいかも知れない。食感も同様。

因みに以前、当然のように日本米と同じように吸水させる時間を取る方法で調理したところ全くダメで、とても食べる気になれないものとなってしまった。味がたんぱくなのは似ているが、食感が砂っぽいというかジャリっぽい。

美味しさを比べるならこの場合は同じ方法で調理したものを比較するのではなく、生産国でなされている調理法でそれぞれ美味しく調理できたものを比較すべきと思う。

1990年代初頭の冷夏で日本がタイ米を輸入した時は日本米と抱き合わせで米売がなされたようだが、購入した寿司店の店先ではタイ米が無料で「ご自由にお持ちください」されたと聞く。無知だった私は驚いたが、握れない米で寿司は握れないので、今は理解できる。一方で、その味食感が日本米を食べてきた日本人に合わないのも理解できるが、出荷国のタイとしては経済大国日本向けに最高級品を輸出したと聞き、マズいと言うのは控えたいところ。

そんな感じ。

誤った出され方をされたゴミのその後を見張ってみた

ここ数週間、毎週火曜日に正しくないゴミの出し方をする人がいる。

空き缶は出し日は合っているが買い物袋入りのまま出し(誤)、それと一緒に通常ゴミを置いていく(誤)ので、それだけ回収されずに置き去りにされ、その結果、何もない路上に買い物袋に入った通常ゴミがポツンと置かれているという状況が発生。これは路上に相当の大きなゴミが捨てられている形で心情悪いので、家族が代わりに翌日(正)に通常ゴミ集積所(正)に出している。ところが、我々がやってしまうが為に当人に伝わらないのか、改善されずに繰り返されている。当人にゴミの出し方が間違っている事を伝えなければならないが、さてその人はこちらの話を聞く人物か否か。逆ギレ?でもして根に持って危害を加えるような人物ではないか?たぶん出勤途上でおいていくのだろうから、話をするにも時間はそう多くはとれない。

正しく出されなかったゴミのその後:

  1. 風で飛んで移動。
  2. 近所の住民が缶ゴミ用ケースに投げ入れる。
  3. 瓶・缶収集車が来たが、その通常ゴミだけを取り除き、その場に置き去る。
  4. また風で飛ばされる。
  5. 通行人が足で蹴って置き場へ寄せる。
  6. また風で飛ばされる。
  7. 2の住民が置き場へ固定する。
  8. ペットボトル回収車が来るが、中身が回収品目とは異なる事を確認。固定したまま置き去る。

夕方になり、会社では退勤時刻を迎える。さて、ゴミを捨てた当人は収集されずに取り残された自分のゴミを見てどう考えどうするか?普通かマトモな人ならば持ち帰って適正に処理しようと考えるだろうが、さてその結果は?

ゴミを入れられた買い物袋は有名なデパートの絵柄なので、帰ってきた捨て主の目に留まるよう、目立つように固定したのだが、とうとうそのゴミは誰にも収集されずに日が変わった。同じ道を通って帰宅したのだろうゴミの主はそのゴミを回収しなかったと思われる。一度捨てたらもう知らないよと?捨て主はそういう人?そうであれば、それひとつで捨て主の人物の一部が察せられる。明朝、捨てられた時間帯を見張る予定を立てる。

その後がちょっと驚きの展開。まだ暗い午前6時前の未明にヨチヨチ歩きなおじいさん?が出現。ゴミを取り上げ、中身を出して付近に捨てて去る。ベレー帽?な帽子をかぶり、左手には杖?手袋?をしたけっこう身成りの良いおじいさんなのだが、それやるか。結果、道路にはゴミが散乱。その後の明るくなってきて捨てられた時刻、ネクタイスーツにウェストポーチのようなシンプルな洒落たバッグを肩から斜め掛けにした捨て主と思われる30代くらいの男性が散乱したゴミの真横を通り過ぎるが、残念ながらお構いなし。声掛けしようと思えば出来たのだが、本当にその人物がゴミ主かの確信が持てず、やり過ごした。やはり現行でないとと考えた。そして、通勤時間帯は終了。

ゴミは路上に散乱しているので、ゴミの存在に気が付いているどころか一部始終を見届けた者として回収し、自宅ゴミと一緒に適正に処理した。今後、特に来週の火曜日にどう対応すべきかと考えている。

ゴミの出し方ひとつでその近所の人にいろんな思いをさせる事、手数を掛ける事を知るべきです。思えば、幼少の頃にもゴミの出し方問題は聞いていた。当時は大人の腰上くらいあるフタ付きのゴミバケツがあり、それに入れて出されていたが、ゴミバケツは臭いもキツく虫も付き、集積所の最寄りの住人の方はどんな思いだっただろうか。今よりももっとアナログ的で感覚的で論理的でなかった時代だったのだから、今より気苦労は多かったのでは?このケースでは、捨てられたゴミが風で飛んで移動したり、特に未明のおじいさんの行為などは捨て主にとっても予想だにしなかった事態でしょうね。

直観的におかしいと思ったら

スターバックスの新宿サザンテラス店を出たところをキャップをかぶった見知らぬ白髪じいさんに声を掛けられた。聞けば、

「帰りたいんだけど帰りの電車代が無いんだよなあ・・・」

初めて会った見ず知らずの他人にお金をもらおうというのにキチンとお願いするでもなければ、頭を下げるでもない。彼はいかにも思いがけない事態に巻き込まて救援を必要としている困窮者の如く振る舞う。

突然の事で一瞬どう対応したらいいか戸惑ったが、店では窓際のカウンター席利用だったので、店外から狙い撃ちされたと直感。無視して去ったところ、睨んで文句を言うという硬軟両使い。あれはやり慣れてる様なので、次回は笑顔で警察を呼ぶか派出所に連れて行こうと思っています。

神宮での横綱手数入りの時、「NHK(前橋放送局)の者なのですが」などといって自作の名刺をチラっと見せ、別所に特設の報道陣席があるにもかかわらず一般席の最前列に強引に割り込んだ白髪じいさんもいました。持参のカメラは一般的なコンパクトカメラでした。後に確認したところ、前橋放送局からは取材にはいっていないとの事。

どうも白髪な高齢者の中にも狡賢い事を図々しくやっている人物がいるようです。言われると断れないようなタチの人の良さそうな人物を狙っているようで、何も言わないと「黙認」と判断し、対応に苦慮しているとズンズンと入っていきます。入られ定着されると今度は追い出すのが難しくなってくるので、直観的におかしいと思ったら周囲の人たちとも連携して駆逐したいものです。